強い気持ちで緩む人

普通のことも、意識しないとすぐに忘れてしまう。今は、とりあえず、となったら、速記の練習をすることになっている。速記で何か新しいことを、と思っても、入場券がまだ手に入っていないから、毎日少しずつでも練習をしていこうと思う。一番モチベーションが低いときは、歌を聞きながら歌詞を書いている。今の自分にちょうどいい速さ、ちょっと速く感じるぐらいの速さは、その辺の語彙があんまりないので自信はないけど、アップテンポとまではちょっといかないぐらい、それをミディアムテンポというのでしょうか、それぐらいのバラードで、たまにちょっと速く歌うよ、ぐらいの曲がちょうどいい。すごくゆったりなバラードで書いてみたら、すごく申しわけなくなって、でも急に歌詞がぐっと入ってくることもあったり、ちゃんと聞いてないつもりでも歌詞をすごい覚えていたりするし、変に頭の認識力を使っているときより、自分の場合はちゃんと聞いているのかもしれない。でもやっぱり、もうしわけなくなるから、ある程度テンポの速いので練習する。


アドレナリンが出ているときは、明るいことを言いたい。こういう話の転換をすると、ちょっと大木こだまひびきさんぽくなるけど、そんなことはどうでもいいけど、アドレナリンを長らく出していない人は、もしくは出すのが下手な人(私です)は、最初に怒りが出てきてしまって、それでまた嫌になって、アドレナリンを出さないでおこうという弱気な態度に出たり、逆に開き直っていつも怒っているような状態になったりする。いつも怒るような感じが本当に悪いのか、と改めて聞かれるようなことがもしあったとすれば、すっと答えられないような気がするが、少なくとも自分だけのことについて言えば、悪い、とはっきり言える。人の顔をちゃんと見て思い切り笑顔になれる人はすごいなと思う(何やの、急に)とにかく、怒るぐらいなら、思い切り何かほめたほうが、多少目をつぶっても、いいのかもしれない。目をつぶるといっても、結局今までだって、反対のほうに対しては目をつぶっていたのだから、どうせ一緒だ。多かれ少なかれ、右であれ左であれ、プラスであれマイナスであれ、全く何もない人は・・・というようなこともついつい言いたくなってしまう。


厳格な生ぬるさとか、期待しないことに対する希望みたいなものを使って、そういうふうにもう既にしている人は山ほど・・・というように比べるのはやめよう。それはそれは、これはこれだ。僕も知らぬ間に、当たり前じゃないことができているかもしれない。これも比較を含んだ言い方だけど、少しずつ逃れたい。


人の顔を見てはっきり笑える人は、覚悟のある人、なのかもしれない。最近奇跡的に久しぶりにそういう人をまた目の前にして、体の緊張が緩んでいくのを感じた。近くにいるだけで緊張する人と緩む人の間にいると、体がぐらぐら揺れるように感じることもあり、とにかく、いろいろすいません、という気持ちになる。


今1つだけ超能力的なことで欲しいものがあるとしたら、疲れなくてどんなに音が悪くても人が何て言っているか聞き取れる耳が欲しいけど、もっとじっくり考えたら、別のことが出てきそうな気がする。


でもやっぱり、笑っている感じがすてきだったら、それ以上のことはありません!