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 岡本さんに近付いて、話しかけられないで立っていると、
「決まりましたか」
 とキャンバスから目を離して、少し疲れたような苦い笑顔で、岡本さんは言った。少しあって、僕が首を横に振ると、
「途中でもいいですから、また描けたら見せてくださいね。ぼくは大抵ここにいますから」と言った。
 芝生を踏む足下を見ていた。街との間にある木の柵沿いに、アスレチックの方へ歩いていった。
 街の方を見ると、時々、心臓が痛んだ。自分が見ている街のある地点に、自分が吸い込まれるように感じることもあった。我に返って、今自分が立っている所に戻ってくると、自分が誰か分からなくなる、名前も分からない、という心境に一時的になるのだった。
 アスレチックは、ずっと奥まで続いているようだった。左手には大きな木の壁が立ち塞がっていて、それを、垂れ下げられている、結び目が等間隔に作られているロープを使って登っていったら、今朝女の子たちがいた所に着きそうだった。目の前の高い所には、目の粗いハンモックのような縄の橋が架かっていて、左の大きな壁の四角く開いた穴に繋がっていた。右側には、木の台があって、そこへ階段を使って登れば、縄の橋の前に着くようだった。
 僕はそちらに行かずに、振り返って、少し足を速めて、岡本さんの所へ向かって歩いていった。
 画材は置きっぱなしで、岡本さんの姿はそこにはなかった。僕は足を止めずに、そのまま小屋まで歩いていった。
 一番奥の席に、俯き加減に煙草を吹かしている、岡本さんがいた。
 ドアの前まで来ても僕の姿には気付かなかった。ドアを開けると、顔を上げて、僕の姿に気付いた。
 父が吸っている、煙草の匂いがした。別の強い煙草の匂いがして、それは岡本さんの吸っている煙草の煙だった。
「いい場所は見つかりましたか」
 と低いしゃがれた元気のない声で岡本さんは言った。
「さっきまで、誰かいました?」
「一人、いましたね。すぐ出ていきましたが……」
 岡本さんの吸った煙草の煙は、拡がりながら上に昇っていき、等間隔に開いた天井の穴から、外へ抜け出していった。
「ここから描いてみることにします」
「そうですか……まあちょっと座って、お茶でもどうですか」
 岡本さんの隣に座って、街の方を見てみた。岡本さんの煙が視界を遮って、はっきりと見えなかった。小屋の中の空気に含まれている煙が、体を包んで、少しだけ締め付けているように感じた。
「狼煙みたいに見えるでしょうね、遠くから見たら。朝にはここも一杯になりますから、もっとそうでしょうね」
「さっき来た人も、朝来ますか?」
「さあ、どうだったかな。大勢いますから、いちいち顔は覚えてないよ」
 岡本さんからもらったお茶を飲み終えると、
「ぼくは、絵に戻ります」
 と岡本さんは立ち上がった。
「君はどうしますか?」
「もう少し、ここにいます。後でバッグを取りにいきます」