焦っているとき

 自分がどうしたいかわからなくなっていて、人のためにやっているのにというような気持ちになったり、まわりがわかってくれない、ついてこない、というような苛立ちを感じるようなとき、ただ単に、自分にとって必要なことや、本当にやりたいことに目をつぶっているようなときに、焦りを感じたりしてきたような気がする。

 今は焦りを感じているようで、少し自由な気持ちにもなっているような気がする。家族について、罪悪感を抱くことが、少なくなったかもしれない。単に少し図々しく、鈍感になっただけかもしれない。でも、少しだけ晴れた気持ちになっているから、別の鈍感さは少し減ったかもしれない。

 周りの人の話を聞いたり、様子を見たりしているうちに、最近、自分は、人に構う、構われる、ということに対する感性がかなり薄いというようなことを思うようになった。特にそう思ったのは、僕と同い年の、僕と似たような環境で育った人の話を聞いていて、この人は構われないのが当たり前だという感覚にならないと生きにくかったんだろう、と思ったからだった。実際は、構われずに育ったわけでは全然ないんだろうけれど、記憶に残っていないところで、そういうのは幾分か形成されてしまうような気もする。

 といっても、それに気づいたら、幾らでも方法はある。大分遅くなってしまったけど、少しずつでも、多少不自然でも構うこと、構われることを大事にしたいと思う。でも無理をして、罪悪感を上塗りするようなことはしないで、苦手なことはそこそこ避けていきたい。