身体性(気合)

 今日、将棋盤を買いました。盤は折り畳むタイプのやつで、駒は楓材のやつです。併せて5千円くらいでした。それで何をするかというと、詰め将棋を並べて解いたり、テレビでやっている将棋講座の棋譜を並べながら聞いたりする、ということに使うのです。誰かとやる、ということももちろん出来ますが、相手が今の所いないので、募集中です。でもそれよりも先に、自分がある程度できるようにならないといけません。完全に下手の横好きなのです。
 詰め将棋も、解ける時は一瞬で解けますが、分からない時は30分考えても5手詰が解けません。そういえば僕は、錯視で2通りの図柄に見える、というやつも、どうやっても1通りの図柄しか見えない、というタイプなのです。まあ平たく言うと、頭が固いんですね。融通が利かないとか、言われることも多いですね。
 そんなことより、目の前に駒が並ぶと、やっぱり迫力があります。簡単に1手を指せなくなります。1手がとても重大なことのように思えるのです。相手が前に座っていたら、尚更でしょう。
 プロの公式戦でも、インターネットを使った対局がありますが、人によってはパソコンの隣に実際に駒を並べて、それを見て考える人もいるようです。小説で言えば、手書きで書くかパソコンで直接書くか、というようなことなのか、と思いました。身体性、という問題で、そこに物がある、人がいる、手を使う、駒に触れる、相手の動きを見る、駒音を聞く、など色々な要素があるのだと思います。羽生善治さんは、インターネット将棋では、結構すぐに負けたりする印象があります。若い人の方が良くも悪くも、身体性以外の部分が強いのかもしれません。
 小説も、幾らでも時間を使えそうですが、一瞬の勝負、という場面もあると思います。高くジャンプして一瞬高い所に触れるとか、息を止めて潜って深い所から何か持ってくるとか、そういう感じはあると思います。もう一回同じことをしようとしても、今度は同じ経験をしようという欲があって無理だったり、一回目は偶然行けただけとか、二回目は馴れがあって一回目より感動しないとか、同じ所に行くのを面倒くさいと思ったりとか、そういうようなことも、ある気がします。
 なので、最近少しずつ、体を動かしています。