HPオープンのこと(ほぼ伊達さんのこと)

 HPオープンテニスの決勝は、伊達さんとタイのタナスガーン選手だった。二人とも名前は知っていたが、実際に見るのは初めてだった。伊達さんが決勝まで残るとは、正直想像できなかった。昨年優勝のストーサーと当たることを知っていたし、そのストーサーに勝ったことにとても驚いて昨日の時点でまだ残っていることを知っても、まだ半々くらいだろうと思っていた。でも実際は準決勝でも勝ってしまった。すごい。怖いくらいだが、実際に見れることになって嬉しかった。実物は、とても小さかった。でも体はほとんど筋肉で出来ているように見えた。千代の富士を思い出すくらいだった。
 伊達さんのボレーを見ていると、少しグリップが厚いように見えた。サーブも、ちょっと普通より厚い気がした。ボレーは絶対に薄いグリップ、という考え方に囚われていたが、打ちやすいように打つことが大事、と当たり前なことに気付いた。
 サーブを打つ前は、ぽんぽんとフォアハンドの厚いグリップでボールを地面に何度か打って、それからサーブの薄いグリップに持ち替えて、何度かグリップを薄くしたり厚くしたりして微調整をしながら、頭の中のサーブのイメージとグリップをチューニングする(ように見えた。)
 ストロークで、打つ瞬間に声を出す選手は多いけれど、伊達さんは、打つ少し前に、少し力を抜いた声を出してから打っていた。打つ前に一度力を抜くことを意識するために出していた。スイングも、打つ瞬間に見て分かるほど、ビッと速くなる。打つ瞬間に力を乗せるのは当たり前だけれど、スイングスピードは普通そんなに変わったように見えない。体の軸も、ぶれずにまっすぐのままだ。体重をボールに乗せることよりも、軸をぶらさないことを優先にした打ち方だった。深いボールが来てもベースライン上からほとんど下がらず、あの有名な、あのライジングショットで、相手の力をうまく利用して、早いタイミングで打ち返していた。低いボールは膝をしっかりと落としていた。自分の体の力の使い方も無駄がなく、相手の力も出来るだけ利用する、という戦い方だった。なので、相手が疲れて調子が落ちたときは、うまく相手の力を使うことができず、逆に伊達さんの方がポイントを失ってしまう、というようなことも起きた。
 スライスも織り交ぜて、ストロークを組み立てていた。スライスは、打った後普通にボールが返ってくると、打った方はスライスの意味を感じにくいが、打たれた方は、普通に打ち返すために、フラットのボールよりも足腰や神経を消耗している。格闘技でいえば、ローキックやボディーブローのようなもので、効いていると信じてやり続けることが大事で、例えそのポイントを奪われても、棋士のように相手から見た盤面を考えて打つ、理性の攻めだ。
 1セット目、伊達さんは徐々に調子を上げていったが、体力を消耗して調子が落ちてセットも落とした。けれど、2セット目途中から調子がまた上がっていった。一回目の調子の上がりは体の調子が上がっていったからで、二回目は伊達さんの体以外の力が上がっていったからのように見えた。逆転の伊達、と言われる不思議な調子の上がり方を目の前で見て、説明は出来ないけれど、東洋的である気がした。
 タナスガーン選手の調子は、上がったり下がったりを繰り返していた。伊達さんの調子の波は、もっと大きくゆったりとしていた。
 2セット目はタイブレークになり、激しい打ち合いになった。それで伊達さんが競り勝つが、ハイペースな流れになってしまい、タナスガーン選手はそのままの勢いで3セット目を戦い、伊達さんはタイブレークの競り合いで激しく消耗してしまったのか、3セット目はあっという間に差をつけられてしまった。
 伊達さんは負けた後、タナスガーン選手には健闘を讃えるために笑顔だったけれど、表彰式が終わった後は、ずっと悔しそうな顔をしていた。不機嫌だと言ってよかった。サインボールを打つときも、そっけなかった。でも、テニス選手は、テニスをすることが仕事なのだ。僕たちは、テニスを観に来たから、テニスを観るのが仕事なのだ(仕事じゃないけど)。それ以上のことは、何も求めることはない。尖っているなぁ、と思った。でもそれがプロなのだ。
 僕も集中して観すぎて、気持ちが尖って帰っている途中ぎらぎらしたままで、怒っているような苛々しているような気持ちが続いて大変だった。僕個人はもう、今はそういう火の流れには行きたくはない。今後は分からないけど、今は水の流れの中にいたい。でも、どうせ丸くなるなら、徹底的に綺麗な丸になりたい。水の流れの中で、綺麗な火の玉になりたい。それが出来たと感じたら、考えはまた変わるかもしれない。