そのスピードで

堅苦しい、厳しい、そのようなものに自分がなっている、と指摘される、もしくはそのような顔をされることが、ここ最近多くなっています。仕事で自分に要求されるものに応えていった結果、僕に厳しさや堅実さを求めた人でさえ、僕の堅苦しさに眉をひそめる時もある、という状況になった気がします。堅苦しさと堅実さは違うということもあるのですが、それだけではなく、単に行き過ぎてしまっている部分もあると感じています。間違わない、ということは、異常な状態であり、不可能なことでもある、と同時に、不必要なことでもあるのかもしれません。完璧さを目指すことと、間違わないことを目指すことは違います。完璧さを目指すことは、間違いを認めることです。間違わないことを目指すことは、自分にも他人にも嘘をつくことです。頭がオーバーヒート気味になってやっと、頭だけではなく体で納得し始めました。


オリックス対ロッテ戦を、友人に誘われて観に行きました。延長10回の裏、サヨナラホームランで終わる、好ゲームでした。テレビで観るのと、生で観るのは、全然違いました。ボールは不規則に動き、テレビで観るより硬く見えました。球場は広く、人は小さく、けれども体は締まっていて、脚はとても速い。ヒットゾーンに飛んだ球は、小さな人の力ではどうやっても捕ることはできない、と感じることもあれば、プロフェッショナルであるその人の脚の速さなら捕ることができる、と感じることもありました。応援団の声を聞いていると、人の声の力、人の力の大きさを感じました。もし自分があんな声援を受けていたら、と考えると、嬉しいどころか、恐ろしい気がしてきました。まともな神経ではいられない、と思いました。きっと声援を受けている人たちは、聞こえないようにしている、もしくは聞こえないようになっているんじゃないか、そうでないとやっていけないだろう、と思いました。オリックス側のベンチにいて観ていると、最初は意識的にオリックスを応援していましたが、段々と無意識にオリックスを応援していました。最初はロッテに知っている選手が多く、西岡、脚むちゃくちゃ速いな、すごいな、とか思っていたのですが、、、特定のチームを応援する気持ちが少し分かった気がしました。今日一日で、僕の中ではオリックスが他のチームより少し特別になりました。このような経験をさせてくれた友人に、感謝の気持ちでいっぱいです。


その友人と話しているうちに、自分が保留にしていること、ふたをしていることが、色々とあると感じました。昔の記憶に(記憶って全部昔でしょ?、、、、でもほんとに?)縛られている部分もありますし、やり残したことがあると感じますし、今現在進行形のことでも、保留にしていることがあると感じます。
ゆっくりと、それらを解消していきたいと思います。
間違うことを気にしないこと、考えずに話すこと、深刻にならないことの感覚を、少しずつ取り戻していきたいと思います。


タイトルは、Over Timeだからですが、分かる人いますか?、、、いませんね。

こんな風にインターネットに文章があるということは、あの球場にいっぱいにいた人全てが見る可能性があるということだし、隣にいる友人すら見ていない、誰も見ていない可能性があるということ、というのを体感した気がします、、、あんなに見られていたら、そのことを意識してしまったら、不自然なほどやる気が出てしまうだろうと思うし、そう思う人はあんなに見られることを望まないだろう。