A級順位戦最終戦

3月2日の朝10時から、将棋のA級順位戦の最終戦が始まった。
この対局で、名人戦の挑戦者が決まることになっていた。6勝2敗で並んでいた渡辺竜王と森内九段。同時にそれぞれの対局が始まって、両方勝てば、プレーオフ。片方が勝てば、その人が挑戦者になる。


森内‐久保戦が、最初に駒がぶつかったが、終局は同時に始まった5局の内、最後になった。渡辺‐丸山戦は先に終わり、丸山九段が勝っていた。


森内‐久保戦は、100手を越えてからまた駒組み(戦う準備を整えること)が始まり、途中、森内九段の勝ちが決まったように見えた所から、久保二冠は投了せずに、飛車と金を捨てて相手の香車を取る手で、延命策をとった。そんな延命策をとっても、普通は形勢を立て直せずにそのまま負けてしまうところが、そこからなんとか攻撃を繋げて、差が縮まっていっているように見えた。それでも森内九段は、逆転されそうな攻撃を受けながら、自分の一手優位を守り続けて、徐々に相手玉を追い詰めていき、175手で、午前1時40分に久保二冠が投了することになった。


対局後の部屋の様子は、事件の現場のような凄惨な静けさで満たされていた。早指し戦ではそこまでの雰囲気にはならない。一日中、冷静に闘い続けるというのは、こんなにも苛酷で、恐ろしいことなのかと思った。これは、時間が長いからというだけではなく、テレビ向きではないと思った。格闘技よりももっとえげつなく、見ていられないという気持ちもあった。殴って攻撃するわけでもなく、言葉で傷つけるわけでもない、特殊な精神の生存争いがあった。勝った方が生き残って、負けた方が消えてしまうというほど単純ではなかった。両方とも消耗して削れて、両方とも別の形でこれから生きることになるのだった。


感想戦の対局者の言葉は断片的で、声も小さく、何を言っているのかわからないことが多い。でも本人たちはそれで通じ合って、そのような話し方でずっとしゃべっている。


対局者も解説者も、優劣や勝敗については、はっきりした言い方をせず、その人それぞれの特徴となるような言葉を選んで話す。嘘を言うわけでもなく、はっきり喋らないわけでもない。
それは思いやりで、対局に負けるだけで、もう充分以上にショックを受けているし、悔しい思いをしているのだ。そしてそのことを、同じ職業である対局者や解説者が一番良くわかっている。勝った方も喜んだ表情を見せずに、自分のあの部分はまずかったかもしれない、というような話をしたり、あの場面でこうなったらどうだったか、自分がやられていたんじゃないか、という可能性を話したりする。負けた方も悔しい表情を見せずに、自分のまずかったところ、どうすれば良かったかを検討して、次に活かそうとする。


森内九段が名人戦挑戦者に決まった。現名人の羽生さんも、森内九段も永世名人有資格者で、永世名人有資格者同士の名人戦は、25年ぶりになるそうです。