寒くなってきました。

読んでいるときは,静かな気持ちになっている気がした。いろいろ考えること,言葉が出てくることを望んでいたわけではなくて,その反対だったような気もする。嘴が長すぎて自分の胸に刺さるぐらいになっていたら,少しも口を開けられない。


読んでいて胸が痛くなるような気もしたけど,本当は脈がちゃんと打つようになっただけなのかもしれない。12,3歳くらいから,僕も俺もしっくりこなくて,自分という呼び方に落ち着いたのを思い出した。僕でまあいいかということになったのは,大学生になってからだったが,何でかよくわからないし,そもそも淡路弁があっという間に消えてしまったことのほうが大きな変化だった。


香りとか音が聞こえるように,自分の速さを確かめながら読んだ。


紙に包まれた松茸を食べたら,世界が3倍ぐらい明るくなりそうだ。柚子もたまらないでしょう。死んでしまうぐらい美味しいか生き返るぐらい美味しいかといえば,きっと後者でしょう。


同じ黒い杭でも,対応する人によってやっぱりこんなにも違うのかと,改めて静かな心持ちになった。黒い杭は実はいろんな色が詰まっていて,たたいてみると,カンと甲高い音を立てて,虹色の火花を散らせたりする。


女性の生命力をちゃんと見ることは僕はすごく苦手で,なんとか自分を白けさせようと必死になって,女性にもつまらないことをいっぱい言ってきて苦笑いをさせてきたが,多分好き過ぎてこわいからだと思う,と今は少し落ち着いたので何とか言える気がする。女性に限らずかもしれない。好き過ぎてこわいので,うまく調整したいが,小手先ではうまくいかない。体全体を使って,腰でバットをうまく運ばなければならない。


単純に言って,聖なる生々しさ,という感じがした。ちょっと失礼な気もするけど,それが女性なのだと思います。


見知らぬ土地の話,というだけではない気がする。知らないけど懐かしいと思うのは,この静かな気持ちが懐かしいのかもしれないと思う。最後のほうでは,転がっている石も香ばしい匂いがしている気がする。人の声も,動きも,香りになっている気がする。