もう一度一から

小学生のとき、同級生の、恐らく親友といっていい人との学校からの帰り道、その人の住んでいるマンションの側溝のそばで、一緒に将来ゲームをつくる人間になりたいと、その人に言った。その人は曖昧な返事をした。彼とは高校は違ったが、付き合いは続き、大学生1回生ぐらいのときに、多分、けんか別れのようになった。


彼は、大学に入って小説を書くようになった。彼の母親は恐らく、僕の悪影響だと思い、僕との付き合いを避けるように諭したようなところが、きっとあった。彼の小説を読み、僕は何か感想を言った。一応、前向きなことを言った。村上春樹さん的だったけど、それはその当時よくあったことだ。僕もその当時はそんな感じだった。書くことが、大事なことではないかもしれない、とどんな文脈だったか忘れたけど、彼に言った。きっと、小説を書いていくことにとって、という文脈だったと思う。彼は、いや、絶対それは大事でしょう、というようなことを言った。絶対、と言うのはかなり早いと思ったけど、僕の言っていることもかなり曖昧で苛立ちを覚えるようなことで、元気もなかったから、少し怒っても当然だったろう。彼は頭の切れる人だった。


風のうわさで彼はその後、システムエンジニアになり、その後整体師になろうと、今しているか、もうなっているようだった。


僕は彼に惚れていた。もちろん手をつなぎたいとかそういう意味の、いや、正直手ぐらいはつなぎたいかもしれない。いや、まあ、握手したい気持ちがある、と言ったほうが語弊が少ないかもしれない。とにかく、惚れていたと表現して間違いない。


彼のほかにも、男性に惚れることは、何回かある。多分、今までの人生で、あと2人か3人。もちろん基本的に気持ち悪いので、そんなことは本人には言わない。同じような意味で、別に手なんかつながなくてもいい、わけじゃないけど(これもういいか)、女性に惚れることもある。基本的に委員長的な人に弱い気がする。AKB48で言えば高橋みなみさん的な、ある意味損をしている人。手をつなぎたいという意味で言えば、歩き方に好みがあります。大体、メガネをかけなくても、歩き方を遠目に見れば知っている人はすぐわかります。特徴的であれば、後ろから近づく足音でわかります。でも、みんなそれぐらいわかるのかな。でも、とにかく歩き方に好みがあります。


いつも土曜日は、頭がスピード出すモードからちゃんと生活するモードにすっと戻らなくて、頭が苦しい。ので、きょうは図書館に向けて散歩をした。スピード出すモードに毒されると、一応目的地を決めないと外にも出られない。


本を最後まで読むことが、随分苦手になりました。で、ウィンドウショッピング的に、図書館の本を読んでいきました。聴覚障害者の人の実態を解説している本、会社で企画を立てるときの方針の決め方の本、レイモンド・カーヴァーの全作解説のような村上春樹さんが訳した本、老子を解説した本、角田光代さんの小説、柴崎友香さんの小説、石田千さんの小説、絲山秋子さんの小説(グーグル日本語入力はすごいですね、絲山さんがすぐ出てきます)。


読んでいる間、いろんな人の顔、いろんな場所が思い浮かびます。顔も場所も、笑顔です。なので、きょうは僕の調子が比較的よいのでしょう。少し泣きそうになります。最近泣きそうになったのは、おいしいお寿司をごちそうになったときです。泣きたい気持ちは、お寿司も小説も区別しません。


もう一度、今は既に、もう小説を、読む人でもないのかもしれません。ましてや、書く人ではありません。(ましてや、という表現は今の僕にとっては、とりあえず正しいです。)


村上春樹さんの『職業としての小説家』という本を読んでいます。とても、読みやすく、懐かしい感じがします。小説家を目指してこの本を読む人は何となく少ない気がします。ただ、これ以上言うのは今はしんどいですが、やっぱりわかりやすく、大体すっと納得できるような気がします。


図書館まで行く途中、帰る途中、木々が目に入ります。適当に言えば、52歳ぐらいまでに、もう一度、小説のことも目を逸らさずにやってみたい気持ちになりました。少し壊れた頭でどこまで近づけるかわかりませんが、絵を描いたり、プログラムを勉強したり、速記をやったりしながら、ぼちぼちやりたいと思います。いろんな人に惚れて、真似をしながら、自分らしくやりたいと思います。


皆さん、お元気でしょうか!


BGM:チャットモンチーBEST〜2005-2011〜
お酒:レモンチューハイ
つまみ:チーズ・コアラのマーチ