聞こえるように書くというようなこと

聞いたことを一字一句文字にしようとすることは、不自然なことだなあと思う。また、それを聞いたそばからそのようにしようとすることは、さらに不自然なことのような気もする。もし自分が何も聞こえないとして、人が話していることを、一字一句知りたいと思うかどうか、想像して、一字一句ではなくても、やはり知りたいと思うだろう。目は強い。一字一句なんて実際は、ふだんそんなふうには全然聞いていない、ということはとてもよくわかった。

1月の末、試験を受けて、結果はまだわからないけれど、左の頭が次の一週間は治らなかった。まあ、速くなっている。ある意味必死に泥臭く、そのようにしたのだが、一方で、そんなこと知らない、と思う。何となく、今はそんなこと知らないと思いながら、必死にやって、どうでもいいと時々思いながら、やっていこうと思う。

機械のように、という言葉が色気を持つことがあるだろうか。ないかもしれないけど、搾り取れば、片隅には何かきらっとしたものも少しはあるかもしれない。

小説を読むことも、最近少しある。ごはんを食べているとき、早く飲み込みたいと無意識に本能的にしてしまうのを我慢して何度もよく噛んで溶けてしまうにして食べたら、すぐおなかいっぱいになる。かみたい欲求がほとんどで、何か食べたい欲求は実はそんなになかった的なことに、囚われ過ぎて無理して食べないみたいなこともやってしまいがちだからほどほどにして、でも小説は別にもうそんな食べたいという感じじゃなくて、しっかり噛んでおなかいっぱいになろうと思う。その状態で書けないなら、もう少しこういう心境になれよう。少なくとも、こういう心境になろうとすることはやめないでおこう。

何か最近しゃべらないと少しおかしくなってしまう感じがすると思ったら、要するに人の話をある意味大量に毎日聞いていて、ちゃんとは覚えていないが覚えていて、そういう意味で情報量が盛りだくさんで、女性に限らず話が溢れてくる人たちと養殖的に同じ状態になっているだけじゃないかという気がしてきた。でも、急に話が溢れてくるわけではないから、いいことが全然ない。

そんなことが言いたいわけではなかったけど、何か書いてみたいと思っているけど、こういうことじゃない。