匂いと問題

無意識的にしろ、意識的にしろ、どういうつもりでその匂いを感じているか、ということが、その匂いの印象にとって、大事かもしれない。
食べるつもり、身に付けるつもり、そこへ行くつもり、その人に会うつもり、などなど……。

その問題には、それがどういう問題か、という問題と、その答えになる、その時自分が感じ、考えた問題がある。それは言葉の形になることも、ならないこともある。門題、としてもいい。

言葉は、言葉にならないものを捉えることは出来ないのに、出来る気になってしまうことがある。出来るかぎり近付けようとすること、そこから離れていっていないか見続けること、そういう態度をとりたい。

言葉にならないことを表現することを諦めることは、人のことを理解できないからといって、思いやることを諦めることだと思う。お互いに思いやりを持ちさえすれば、理解し合うことは出来なかったとしても、繋がること、協力し合うことは出来ると思う。まずその為の第一歩は、こちらから思いやりを示し、理解することは現実には無理かもしれませんが、理解したいと思っています、という態度を取ることである。でも私たちは不完全なので、その第一歩を失敗することもある。理解なんかされたくない、と拒否される場合もある。それを受け止めることができるのなら、少しずつ、無理をせずにやっていけば、いいこともあるかもしれません。