間違えたい欲求

堅物は精神病になるかもしれんから。すけべはならへんから、○○くんも彼女を作った方がええかもしれんで、と彼女は言った。


寂しいから、ではなく、すけべだから、という理由の方が、しっくりくるのかもしれない。もしくは、男らしいのかもしれないし、相手のことを人間として見ているのはどっちか、と考えても、後者かもしれない、と考えていたら、堅物じゃないか。


校正をするようになって、間違えたい欲求、というのが人にはある、というのを思うようになった。だから、間違えてはいけない所で間違えないために、差しさわりのない所では間違えてもいい、と思えるようになった。ぼけたことをいったり、おっちょこちょいなことをしたりして、バランスをとらないと、間違えたい欲求が、肝心な所で爆発してしまう。60点でいいところは、80点はとらないけれど、100点しかだめなときに、100点をとれるようになりたい。それに、60点もとっておかないと、100点をとるための元気も出ない。間違えたい、というのは、甘えたい、ということでもあって、どう力を入れても100点をとれないなら、甘え足りない、というか、甘えたい、という気持ちがもう理性だけではどうにも出来ない状態になっているからで、そういう人にはきっと甘えても嫌がらない人がいるだろうから、そこで回復しておいた方がいいし、人と関わって迷惑をかけないことなんて、そもそも無理で、感謝すれば、いいじゃないか、甘えないのは強さだけど、甘えられないのは弱さじゃないか、と思うようにして、人に心を開けるようになればいい、と考えていたら、堅物じゃないか。