透明な人違い

 おつかれさまです、と駅で声を掛けられる。男性が二人。どこかで見たことのあるような、大学で一緒だった、音楽をやっている人だったのかもしれないが、やはり見たことのない二人に、今日も一緒だったと、いう感じに話し掛けられ、どこまでですか、塚口までです、というようなやりとりを少しするが、こちらは思い出せず、向こうも人違いという様子を見せず、ぼろが出ないうちに、僕からはなれていった。僕に似た人が、この近くにいて、働いている、のかもしれない。
 透明な怒り、と岡本太郎さんが書いている。今ある世界に対して「ノー」ということ、それは憤りではなくて、というニュアンスで書いている。そのことに関しては、ぼくは透明な天使のようなものです、というような言い方が、小川国夫さんの跳躍台にあるけれど、透明な、というのは、自我のない、純粋な、というニュアンスのような気もするが、何にしても、透明な、というのは、一つの理想です。