大差のない時代(簡単なことが見えない時代)と考えると

誰でもできるようになる、ということは、トップがずば抜けて優れる、ということが起こりにくくなる、ということを考えると、劇的な英雄を求めるのは苦しいし、天才を求めるのは苦しいし、短期間で大きな達成をする、ということも、求めるのは苦しい。そうなると、一つにかける、という心構えが、大事だという気がするが、選択肢が多いので、一つにかけるのも難しい。それに生活がかかっている、という情況になれば、少しは難しくなくなるのか、もしくは、それにかけていても、生活に困らない、もしくは、自分の人生、それにかけることに後悔しない、という自信、または開き直った気持ちがあれば、難しくなくなるのか。そうなると、モチベーションが才能になる、と考えると、自分にとって自然じゃないことに、衝動的にかける、というのは、望みがうすい、ということになってしまうけれど、何が自然か、というのは、分かってみれば簡単だが、その簡単なことが見えなくなっている、というのが、今の時代の雰囲気、と感じることも出来る。簡単なことでも、一度も経験していないことを、分かるのは困難で、この年齢になっても、自分にとってとても基本的なことを、人に話せば、そんなの当り前、と言われそうなことに、やっと気付いたりすることも多い。一つにかける、というのは、自分にかける、ということで、自分は何か、ということは、自分の周辺を一生懸命みるしかない、そこから想像して、自分はこうだ、とやってみるしかない。僕にとって、僕は透明で、ドーナツの穴ともいえるし、文章が周辺的になるのは、言葉の持つ特性を考えないにしても、自然なこと、といえる気がする。多少無茶苦茶でも、間違ってもいいから、厳しくなることが大事な時代、なのか。

昨日の阿久悠さんのドラマで、『歌詞に、私とあなたしかいなくなってしまった。時代を反映するものではなくなってしまった、老若男女が一緒に聴くものではなくなってしまった。』という言葉があった。