三年間

 三年前には、おかしなことでもあるけれど、僕はその場所の責任者のようなものになってしまい、毎日怒ってばかりいた。誰に対しても、平等に怒っていたかというと、そうではない。まずそれが一つ、駄目な点。どうしてそうなったかというと、僕は積極的に働きたい、と思っていたわけではなく、自分のこともやる時間が欲しい、と思っていたからだった。今思えばあの仕事は、物理的に不可能なこと(同じ時間に二つの場所にいること)を除けば、一人でも出来る仕事だった。でも、それに見合ったお金なり経験なりがもらえたかというと、きっとそんなものはなかった、と思ってしまう。ただ、一つやりたかったことがあるとしたら、あの研究室にある蔵書のデータベースを作ってみたかった。それが出来たとしたら、後の人がそれを引き継いでくれたとしたら、それは意味があったかもしれない。
 そこで一緒にいた二人の女性が仲良くしているのを見たとき、父親の気持ちとはこれに近いのかもしれない、と一瞬思ったこともあった。一瞬、本当に娘に見えた。同い年と一つ下の人だったけれど。
 そこを辞めた後は、怒る立場から、怒られる立場になった。それは厳しかったが、それは自分が与えてもらうことだったから、嬉しかったし、そういう意味で職場で涙が出そうになることも、度々あった。上司が今やっていることがいかに難しいことか、ということは、少しは分かるつもりだった。難しいことをさせているのは、僕だったので、なんとも言えない気持ちになったけれど、少しずつでも、良くしていこうとして、辞めずにじっと耐えているだけだったけれど、不思議に少しずつましになっていった。
 最近は、その人に怒られることは随分減った。時々、僕が平和に過ごしていると、不満そうな顔をその人がする時がある。そろそろ、お前も、何か言うようになれ、と言っている気がするし、直接そのようなことを言われたこともあったが、ずっと躊躇っていたけれど、怒るかどうかは別にして、そろそろ、喋り始めようかと思う。
 ここで書いているのは、誰でもない誰かに報告するような気持ちで書こう、と思って始めたし、ある良く感想をくれる一人の人以外の人には、読まれているという感覚は普段もってなく、時々、読んでいる、と聞かされると、不思議な気持ちになった。これからは、読まれていなかったとしても、その人たちが読んでくれているつもりで、書く心境にもなれるといいなと思います。(読まれることばかりは考えないのが、ここのいいことなので、やっぱり考えないようにもします)