笑顔、雨が降っている

ストレートに打った球が、ラインに乗って、擦れる音がした。ストレートのことを、テニスではダウンザラインというが、うまく行けば、まさしくダウンザラインという感じだ。素人でも、スピードが遅くても、ダウンザラインなのだ。
追い詰められて、コートに背を向けるようにして、ボールを返すとき、コートをイメージして、相手もコートも見ずに、手の感覚に集中する。深くボールが返れば、よほど相手が上級者でなければ、ほぼ力関係は振り出しに戻る。高く、緩やかに、放り投げるように。ロビングする。


レッスンが終わった後、いつもは外で部活があるが、今日はさすがに雨がひどくて無理だったけれど、その人は笑顔で、インドアの練習会の話をしていた。僕は帰って自分のもう一つの仕事をしよう、と思っていたが、救われたような気がして、僕も練習会に参加することにした。その人と、もう一人僕よりも10も若い男の子(試合の日に、待ち合わせよりも一時間早く来ていた彼)も参加するようで、テンションが少し高めだった。僕とは表面的には全然違うが、きっと彼も僕と似たような心境になったのだろうと思った。
彼はとても激しいテニスをし、球速はとても速い、ミスは、少し多いかもしれない。彼と打つのを苦手と思ったり、組むのも苦手と思う人もいるし、彼は自分の良さを楽しそうに話したりもするが、そういうのも苦手だと思う人もいるが、正直に言って、僕は彼のそういう面がとても好きだ。僕は自分の良さを語る人が、なぜかとても好きで、こちらも気持ちよくなってくるのだ。もっと言え、もっと言え、と思う。彼は正直で、まじめで、繊細なのだ。表面的には、全然分からない。勝つことをとても求めているようで、試合になると、勝てるようにやっているようには見えない。無意識的に、彼はわざと負けているんじゃないか、とも思える。セルフジャッジの時、彼は自分のコートのきわどい所に落ちる相手のボールに対して、絶対にアウトと言わない。多少アウトしていても、そんなに勝ちたいのに、絶対に言わない。打ったこっちから、アウトだったでしょ、と訂正したくなるくらいに、言わない。彼はとても優しい人間なのだ、表面的には分かりにくいけれど。


練習会では、くじ運が良かったのか、吸い込まれるように、僕は仲間と一度づつ組んで、ダブルスの試合をすることになった。
一度、仲間のラケットを借りて打ったが、飛びすぎて、最初のうちはバックアウトばかりした。飛びやすいのは気持ちよいけど、コントロールに融通が利きにくかった。良し悪しだけれど、使うラケットについては、僕にしては珍しく、今自分が使っているものを使うことに、何の迷いもないのだった。それは、はっきりとした理想があるからだった。出来るだけあの人のように、という目標で、僕はテニスをしていて、それが変わる余地があるようなプレイヤーが、他にはいないのだ。彼が勝とうが負けようが、何も変わらないのだ。だから、テニスに関しては、僕は孤独ではない。孤独なのは、彼だ。彼が誰かから教わることは、フィットネス、戦術、精神力の部分で、もう彼はテニスは、ヒントをもらうこと以外には、誰にも教わることはできないのだろうと思う。
孤独でない、ということは、自らで切り開いていない、ということだ。逆にいえば、孤独であるということは、切り開いているということだ。プロのテニスプレイヤーは、フェデラーの真似をしたりなんかしない。そんなことをしても、彼に勝てないからだ。
仕事に関しては、孤独でありたい。尊敬する人は何人もいても、学ぶことはあっても、励まされる人はいても、ヒントをくれる人がいても、極端な話、余計な口出しや協力は無用だ、ということでありたい。そういう態度が保てないなら、もう僕にとってそれは、仕事ではなくなってしまうのだろうと思う。理想の人も、厳密にいえばいない。理想も、はっきりとはしていない。刻一刻と変わる。目の前にあることと、予想があるだけだ。予想といっても、気休めだったり、迷いだったり、やけくそだったり、思い込みであるかもしれない。でも、とりあえずは今はそれを頼りにするしかない、という決心を持たせてくれるくらいには、諦められるくらいには、疲れてこなければならない。

三歩先が見えて、やっと一歩進める。一歩進めば、二歩先の景色は変わっている。また三歩先を見ようとする。一歩進む。


金曜日に、仕事で外出することがあったとき、昼食の帰りに、インド雑貨の店に立ち寄った。2点、買い物をして、1800円くらいだった。着けて帰りますか、と店員の方が笑顔で(kiroroの金城さんに似ていた)、言った。僕は仕事に戻ることを考えて、持ってかえります、と答えた。その笑顔だけで、その払ったお金よりも、僕は多くのものをもらっていた。彼女がその笑顔をすることができたのは、僕と環境が違うからではなかった。それは、彼女がその笑顔をすることができる、心だからだった。どんなに多くの仕事をしても、物理的に何かを生み出しても、そのような笑顔になれないのであれば、僕は彼女よりも何も出来ていないことには間違いがなかった。笑うことにたどり着く前に、環境の不和の部分を消していくことを、背負うことを何よりも意味があると思って、元気を出していこうと思った。