達成しない

結局残っているものは、達成しないことかもしれない、と思った。


迷惑を掛けることも、掛けられることも多々あった。中途半端なこと、挫折すること、それで、迷惑を掛けることが多かった。周りの人すべてが、自分を責めているような気がし、ますます責められることを起こしてしまった気がしているが、余裕をなくした状態では、取り返すこともできない。余裕がなさすぎるということは、自分を尊重していないことだと分かった。人を大切にする振りをして、嫌われたくないというだけのことに、全部の力を使った後だった。一番迷惑を掛けることは、正直ではない、ということだと分かった。何が正直か、ショートするまで考えて、少し経った後にやっとわかる、という方法がある、というようなこと(詳細は違うけれど)をダ・ヴィンチにオードリーの若林さんが書いていたけれど、それは、良く分かる気がした。最近は、ショートする時間もなかったけれど、仕事から離れて、少しずつ人間の気持ちが戻ってき、昨日本当に解放された気分になって、どっと疲れた。人と面と向かって、人がこちらを向いていないのに語りかけることほど疲れることはない。ただ、昔には、僕が人にこういうことをさせていたのだろう、ということを改めて実感した。


親しい人の、昔の話を聞いた。ぽつり、ぽつりと、答えを促すたびに、話が進んでいった。その人に対しては、今まで一度もやったことのないことだった。話をする、ということに、なかなか興味を持てなかったけれど、それは、何かを作るということではない、と思っていたからだった。関係を作ることを、創造的ではない、と思うことほど、孤独になる考え方はない。


細かいことにこだわること、勝負にこだわること、達成することにこだわること、自分を酷使することで罪悪感から逃れて安心すること、人と話すことを創造的ではないと思うこと。そういうことから離れたい。