呼吸

仕事を辞めてから、まだ、じっとすることに馴れることが出来ない。人に対して、どうしてそんなに贅沢なんだろう、欲張りなんだろう、と思うことが多かったが、僕も、じっとすることが出来ないというのは、きっと、強欲だからだと思う。必要もないことを、あれやこれやと、期待し続けてきたのだと思う。期待しているといっても、本当にそれを望んでいたのかと言えば、そうではなかった。興奮するようなことは、時々起るが、興奮ばかり求めているのは、苦しいことだと思った。興奮は、やって来るかもしれないし、やって来たとしてもすぐ去っていくが、それは重要なことじゃないし、本当は、別に興奮するようなことは求めていない。といっても、まだ、そんなにすっきりしているわけじゃないから、澱が溜まってくることもあり、競争することだって、興奮することだって、時には必要だ。ただ、あまりそれを考えたり、念頭に置いて生きるのは辞めたい。やって来れば、そんなには驚かないし、否定しないし、楽しめるようにして、去っていっても、追わないようにしたい。
どんなに、景色や、文字や、人が灰色のように見えてしょうがない時でも、表現できることや、表現されたものを受け取ることが出来るという微かな明るさだけは、頼りにしたい。それが頼りに出来る、と思えるのは、それは、尽きることがないし、汚れるものではない、と信じられるからで、一つ一つの形がずっと残らずに瞬間的に消えてしまっても、それはいい。それでも、何かしら、尽きることがなく生まれ続けている、ということを信じられるだけで、大丈夫だ。他のことには、期待しない。喜んだり、悲しんだりしたとしても、そのことを念頭には置かない。人を守るだけの、人を傷つける危険もあり絶えず必要最小限の緊張を持とうとしている一本の刀を持っている気持ちで、生きていきたい。


呼吸が合わないと、読めない本がある。それは、自分の呼吸が浅く、早すぎるからだと分かった。その本を読むには、深く、呼吸を楽しむように、落ち着いて生きている必要があった。反対に言えば、その本を読むことが出来れば、落ち着いて生きているのだった。