毎日探す

夜は、ほとんど毎日、犬の散歩に出かける。自分にも、散歩に出かける必要があった、と出かけてみていつも良かった、と思う。

彼は、新鮮な気持ちで、散歩している。犬も歩けば、というよりも、人も歩けば、風に当たる。犬は歩く。人は歩かない者もいる。犬は歩いて風に当たる。


そして、匂いを嗅ぐ。土や、草や、木や、電柱や、工事現場のコーンや、ごみ捨て場のカラス除けネットや、他の犬のおしりなど。
マーキングも、時々計画的に、量を決めているような気がする時がある。自分の持ち弾はあとどれだけあって、どれだけをどこに撒いておくか。

顔は真剣だが、楽しそうだ。散歩に行く前の嬉しそうな顔とは違い、もう少しシリアスさが加わっている。


しゃ、しゃ、しゃ、と土をひっかくとき、たまにこちらの顔を見上げる。満足げな顔をしている。

小さな違いが、大きく感じられるというのは、本当はそれは、小さなことではない、とちゃんとわかっているということもあるし、昨日と今日は、もうまったくもって、別ものだということだけれど、ついつい昨日のことを思い出してしまう。少なくとも、いい思い出だったらいいし、犬も、おもんぱかって、色々とふまえて、強く出たり、そっと出たり、ちょっと手を踏んでみたりしてくる。


毎日探すなんて、そんな大変なことはしたくない、と思っていたが、今でもちょっと思っているが、それが大変と思うこと自体、随分貧しくなってしまったというか、93%くらいロボットになってたのかもしれないな、と思う。少しのことで怒る、というのは、やはり少しのことで怒られたことが辛かったのだ、と思う。全ての人の、全ての部分が、怒っているように見えたりする。怒っている部分は、見つけようと思えば、誰にでも見つかる。自分の怒っている姿が本当ではないように、人の怒っている姿だって、本当ではない。もうそんなこと考えるのはお手上げ、という状態だというだけで、とりあえずはいいのかもしれない。元気が出ると、忘れそうになるが、基本的にはお手上げしたまま、自分が何を大切にしているか、人が何を大切にしているかを、良くみてみたい。