歩く

昨日は久しぶりに、長距離を歩いた。


時間が解決してくれる、という言葉は、昔はそんなに好きではなかったが、今は、ひしひしと感じる。


何かに向かう時、走るように向かうのはやめよう、というようなこと。原発の処理のための電源が停止したニュースを見て、すごくよく分かる、という気持ちになった。作業している人か、それを指示している人か、その両方が、時間に追われている、と思った。そんなようなことは、日本中どこでもあって、なんとか問題を噴出させないように、ぎりぎりの所で、現場の人が精神的にも肉体的にもぎりぎりの所で、危ない橋をかろうじてわたっているだけだ。必要以上にゆとりをもって、必要以上に安定している人達が、俺も昔はがんばっていたのだ、というようなことを思って目を逸らし、なんとか誤魔化しきろう、と必死になっているようなことだ。


僕自身、随分その毒にやられていて、まだ抜けきってもいないけれど、本当に少しずつだけれど、よくなっていっている気がする。以前は、時間が取れるようになったら、またすぐ回復して、落ち着いた気持ちになるだろう、とおもったけれど、それもまた、慌ただしい考え方じゃないか、という気持ちになってきた。すぐに成果が出ないと詰まらなくなってしまう気持ちや、すぐに話が通じないと、どうしてなんだ、と思う気持ちから、少しずつ離れたい。