矛盾は矛盾のまま

大分暖かくなってきたので、久しぶりに夜に夙川公園を歩いた。


昨日はテニスを朝やっていた仲間の人の送別会で、テニスと飲み会があった。一人ひとりの球質というのは少しずつ違っていて、その人の球質というのは、その人のものでしかなく、これからも手の感覚としては、多分忘れることはないと思う。鋭さと軽快さが半分ずつぐらいのスピンがかかっていて、重たさはなかった。あんまり話自体は多くしてなかったけれど、昨日はいつもよりは多く話をして、やっぱり軽快な感じだったし、でも、以外に下ネタを好んでいるような感じだったけど、それもやはり軽快な感じだった。でもやはり寂しかった。


スクールのコーチも転校が決まったので、やはりそれも寂しい。


夙川公園のお気に入りの場所では、川の音と電車の音が聞こえる。


心を整理する時間を、これまで以上にちゃんと自分で意識して取らないとすぐに詰まってしまう。愚痴にも体裁がある程度必要で、僕は川などに頼って、またはこんなふうに書くことに頼って整理したほうがいいと思う。


言葉の骨折が大分治ってきて、杖を使っては歩けるようになってきた。風邪をひいたときのほうが情緒が安定するみたいに、杖を使っているほうが変な欲がなかったり歩けることのありがたさがわかって歩くのが楽しかったりするといういい面もあるような気がするけど、骨折はやっぱり治ってほしい。


第3回将棋電王戦が始まった。プロ棋士の人のことを考えると、いつも泣いてしまう。誇りを将棋一点に集中させて生きてきた人が同じようにして生きてきた人間にではなくコンピュータに負けるということの悔しさを思うと、言葉で言い表せない悔しさだと思うし、何にかはわからないけど、殺意を抱いていたって全然不思議じゃないと思う。でも、今必要じゃないことが起きているとも思い切れない。


電車の音はそんなに好きじゃないけれど、川の音の合間にあると悪くないと思うのは不思議な気がする。