いろんなきれいさ


先週まではぐったりした雰囲気だったが、今日は急にみな元気そうだった。特に社長は声に腰があるような感じだった。


小沢健二さんがテレビに出ているのを久しぶりに見た。結婚して子供もいるということに驚いたり、少ししゃべり方がもやっとしていたような気もしたけど、歌はやっぱり素敵だった。大事なことを少し思い出した。


吉行和子さんも久しぶりに見たけど、やっぱり美人だった。さらに力が抜けていて、譲ることの心地よさをずっと感じているような美しさがあった。


今更ふなっしーが好きになってきた。言葉がとてもきれいだ。


耳をずっと使うということは、神経が逆立つことなんだなあと思う。初めてのことだった。耳を使う仕事をするとは、思ってもみなかった。


神経が立つと何も受け入れたくない、少しの物音も声も聞きたくないような気持ちになるときがあるけど、行き着くところまで行くと、反対に全部受け入れるような気持ちになるしか助かる道はないような状態になる。


人込みで人のことを煩わしい、触れたくないと思っていると、やたら人とぶつかったり、道を阻まれたりするような気がするけど、反対にぶつかってもいい、むしろ触れたいぐらいの気持ちでいると、不思議とぶつからないような気がする。


女性に限らず、少しだけフラれる気持ちがわいてきた。息苦しさも、痛みも、ぱさぱさした感じも、切ない感じも、趣きがあるとまた少しだけ思えるようになってきた。顔を上げたら、人とよく目が合った。普通人は、これぐらい人と目が合うのかもしれないと思った。


ドアの隙間から覗いてるまだ明るく成りきっていない朝の薄暗さに浮かぶ表情は、今思えばきれいだったような気がする。