発声練習

何も考えなくてもいい時間、何気ない時間は、確かに大事かもしれない。何かあって喜んだ後は何かなくて喜びたい。開発作業というなれないことをする。でも苦手ではないのかもしれない。目が覚めたら、よく眠り過ぎていて今自分がどこにいるかわからない、ぎりぎり目覚めているのかぎりぎり眠っているのかがわからない。あんなふうな気持ちで、読んだ。何回か読んでも、どうしてもここがどこかわからない。でもそれはどうだっていい。その人は考えているかもしれないし、考えていないかもしれない。でもそれはどちらでもいい。どちらにしてもその人は、何かを決めつけようとしていない。自然に動こうとしている。自然に感じようとしている。


読んでいて、それはただ単に香りとか、もう少し物質的に香り玉とか、音とか食べ物とか、痛みとか柔らかさとか、それはただ単にそういう思いになっている。


だから、何かできるわけじゃない。自分を見失って長い時間がたつ。どうしたらいいか、ということを手放すのは、流石に簡単になっている。

きれいごとではどうしようもないのかもしれない。こんな小さな集まりでも、だからこそなのか、なかなかそうすんなりとは。

かわりに息を吸うような感じ、キョンシーから身を隠しているような感じ、でもだんだんと自由に、その瞬間に自由になることもある。

ヨーグルトが最近美味しい。もう戦うようなことは、、、急に興味がなくなってきた。好戦的な感じになってしまうことを隠そうとしていたが、今は好戦的じゃなくなってしまうのを隠そうとしている。それをあらわすと別れが必要だ。今でも嫌いなわけじゃないが、心変わりをしてしまった。


線の一つ一つ、言葉の一つ一つ、それをただ見ている。それをじっと見たり、視界の端にひっかけたり、見ないで思う。


もう太ってもいいかなと思う。戦ってしまうと、そのことを知らない人にも、目に見えなくても、実際は血は流れてなくても、血のような気配が相手に伝わる。何気ない時間、そんなきれいごとばっかりじゃないかもしれないが、大事にしよう。


僕の身の回りにいる人のことを思う。距離は関係ないが、時間は関係あるのかもしれない。ちゃんと、もし攻撃的なことしかできないとしても、トキのように優しい使い方もできるかもしれない。


目には目をで、本当は言葉をふりはらいたい。奥のほうにたまっているけど、なんとかごそごそして、少しだけでもひっかけたいけど、そう思っても余計ちらかるだけだ。別につまらなくてもいい。そう思って適当にやらないと、同じところばかりごそごそしてしまう。さすがにもうおなじところばかりごそごそやって、耳だったらもうちょっと痛くなっているし毛づくろいの喜びもない。